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東京家庭裁判所 昭和49年(家)2734号 審判 1974年4月09日

申立人 永井幹郎(仮名)

主文

東京都板橋区長は、昭和四九年三月二八日出生した申立人の長女につき、その名を「沙羅」とする申立人からの出生届を名のらんを空白扱いとして受理しなければならない。

理由

1  本件申立ての要旨

(1)  申立人は昭和四九年三月二八日出生した長女につき「沙羅」と命名して同年四月六日東京都板橋区長に出生の届出をしたが、同区長は戸籍法五〇条に違反するとの理由で右届出の受理を拒否した。申立人が長女に「沙羅」と命名したゆえんは、申立人の妻、祖父母、親族、友人など多くの人から助言を仰ぎ、慎重に子の将来に家族の夢を託して決めたものである。すなわち、申立人が生育した北陸地方の仏教の伝統、混乱する現代文明から古代のインド仏教文化への憧憬、釈迦の教えのようにおもいやりの深いやさしい子に育つて欲しいという願いをこめて、釈迦死亡にまつわる沙羅双樹の語源により「沙羅」と命名したものである。

(2)  戸籍法施行規則六〇条は、戸籍法五〇条の規定をうけて常用平易な文字の範囲をいわゆる当用漢字と片かな又は平がなと限定している。戸籍法五〇条の規定自体は妥当な定めであるが、この規定に基く命令による常用平易な文字の範囲の定めは、時代の推移に応じ、時代の要請に応じて適正に改正されなければならない。しかるに、戸籍法施行規則は当初常用平易な文字として前記のような定めをして以来社会、文化に大きな変動があつたにも拘らず永年に亘つて改正されぬまま放置されて現在に至つており、「沙羅」のように難解でない文字(「沙」は人気タレントの南沙織を始め、美沙、美沙子など親しく使用される文字であり、「羅」も芥川竜之介の名作「羅生門」をはじめ、平家物語の一節「……沙羅双樹の花の色……」にも出てくる文字で、何れも普通教育を受けた一般人なら容易に読めるもので常用平易なものである。)を常用平易な文字から除外する結果を招来している。かように戸籍法施行規則の改正を怠たり、常用平易と解される「沙羅」なる命名の出生届を受理しないことは、憲法二一条、二四条に基因する命名の自由権を侵害するものであるから違法不当である。

(3)  仮りに上記主張が理由がないとしても、出生届の記載事項を定める戸籍法四九条は、出生した子の名を記載することを要求してないのであるから、東京都板橋区長が本件出生届を受理しないのは違法不当である。

(4)  よつて、戸籍法一一八条に基づき、東京都板橋区長の上記出生届不受理処分に対し不服の申立てをする。

2  当裁判所の判断

子が出生した場合その子の命名権者は、原則として自由に文字を選んで命名することができる(命名の自由)。しかし、名は氏と併せてその人を特定する公の称呼であり、また、命名は本質的にはその子のためのものと解される。したがつて、出生した子にいかなる名が付けられるかについては、その子本人自身が重大な利害関係を有するのみならず、世間一般も少なからざる利害関係を有するものと認められる。それ故、命名権者の有する命名の自由も、この両側面からの内在的制約を免れず、難解、卑猥、著るしい使用の不便等の名を付することは原則として許されないものと解すべきである。戸籍法五〇条が子の名に常用平易な文字を用いるべき旨を定めたのもこの趣旨に基づくものである。

ところで我が国で使用される文字は、伝統的に漢字、片かな、平がな等であり、そのうち特に漢字の数は極めて多く、何が常用平易な文字で何がそうでないかの判別は、命名権者にとつてはもちろん、戸籍事務管掌者にとつても極めて困難である。そこでこの困難さから来る諸々の支障を避けるため、戸籍法五〇条はその二項において、常用平易な文字の範囲を命令に委任し、命令によつてその範囲の明確化を図つたものと解される。したがつて、命令で定める常用平易な文字に、個々的にみれば多少の難点があるとしても、それが委任の趣旨、目的を著るしく逸脱していない限り、その命令は、適法有効であり、命名権者、戸籍事務管掌者はもとより、不服申立てを受けた家庭裁判所も、これに拘束されるものと解すべきである(この点については、当用漢字表制定の趣旨や、戸籍法が戸籍事件について家庭裁判所に不服申立てを認めていることなどを理由に反対に解する見解もあるが、当用漢字表制定の趣旨が現代国語を平易に書き現わすためのめやすだとしても、法の委任に基づき命令が常用平易な文字を明定する以上、当用漢字表制定の趣旨いかんにかかわらず命令の定めは法規としての効力を有するものであり、また、家庭裁判所の不服審査は、審判という形式でなされるが、実質的には行政不服審査と異質なものではないと解すべきであるから、この見解は採用できない。この反対見解によるときは、家庭裁判所は命令の定めと別個に常用平易な文字が何であるかを探究して決定しなければならず、その帰着するところ、おのずから戸籍法五〇条二項の趣旨を没却することとなり、収拾し難い混乱を招来することとなろう)。しかるところ、戸籍法五〇条二項に基づく同法施行規則六〇条は、常用平易な文字の範囲をいわゆる当用漢字、人名漢字および片かな又は平がなと定めている。この定め方の是非については必ずしも異論がないわけではないが、これはわが国の国語政策に即応したものであり、一応妥当自然な定めと解される。それ故戸籍法施行規則六〇条が戸籍法五〇条の委任の趣旨、目的を著るしく逸脱したものということはできないので同規則六〇条は適法有効なものというべきである。したがつて、本件において東京都板橋区長が申立人のした名を「沙羅」とする出生届の命名を制限漢字に存在しないことを理由に戸籍法五〇条に違反するとした点は、「沙羅」の文字がいずれも制限漢字に存在しない以上正当である。

申立人は、命令による常用平易な文字の範囲は時代の推移に応じて適正に改正されるべきであり、改正を怠つて「沙羅」の文字が常用平易な文字でないとするのは命名の自由権を侵害するので違法である旨主張する。しかし、仮りに申立人主張のように改正が行われるのが望ましいとしても、それは国語政策論ないし立法論に過ぎず、望まれる改正が行われないからといつて、これを理由に戸籍法施行規則六〇条の定めが無効となるものでないから、申立人の主張は採用できない。

しかしながら、出生届は、子の出生の事実の報告的届出であり、しかも、戸籍法五二条所定の者は届出義務を課されているのであるから、命名に用いた文字が制限漢字にないからといつて、これを理由に出生届そのものの受理を拒否することは許されないと解すべきである(これは名未定の子の出生届を名未定のまま受理する行政実務との権衡上からも肯認される。)。したがつて、戸籍事務管掌者は戸籍法五〇条に反する命名の出生届が提出されたときには、命名が違法である以上、名のらんを空白扱いとして出生届そのものは受理すべきである。そうとすれば、本件において申立人のした出生届の受理を全面的に拒否した東京都板橋区長の本件不受理処分は、その限りにおいて違法といわなければならない。よつて申立人の本件申立てを一部認容することとして主文のとおり審判する。

(家事審判官 樋口哲夫)

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